2008年、インドに行った
「自分探しの旅」というフレーズを使って海外に行く人に対して
『日本で見つからないものが海外にある訳ねェじゃん!?』と思っていたのは2008年以前の僕。
2008年になってその考えは『日本で見つからないものが海外にある訳ねェ!(確信)』となった。
「自分探し」という考えに違和感を覚えていたので、その「自分探しという考えに対する違和感」を「自分探しという考えに対する批判」に変えるため2008年インドへ行ったのだ。自分を探して見つからないことを自覚しようと!
30日ほどインド含めアジアを旅したのだがインドのことは1mmも覚えていない。そして海外に自分などいない。意外となんでも食えるって自分には気付いたけどそれが自分探しだとしたら、ションベン横丁で蛙とかを食べた方が安くつくわね。
「30日くらいでインドをわかった気になるなよ!」というご意見はごもっともです。
タイ最高!!タイ料理最高!!汚え食堂で食う訳わかんねー料理もウメー!!てことしか頭にないのだが、ちょっとインドの事も思い出してみようと思いました。
なにがあったかな?
インドで見たイジメ
インドで一番最初にショックを受けた事件がある。イジメを見てしまったのだ。
日本人はカモりやすいのをインド人は分かっているので街では必ず声をかけられる。そういったお恵マーが町中だろうが空港だろうがめちゃくちゃ多いのにイライラし、空気も悪かったのもあって、その日は出来るだけ静かな場所で過ごそうとプラついていたところだった。
ふと路地で子供の集団に出くわした。
大人のお恵マーに辟易していた俺は子供がキャッキャッと遊んでいるのを見て「あっ、この国にも純粋が残っている!!」など少し感動してしまった。空港からココまでストレスしか感じなかったからね。
子供が話しかけてきた。
「あんちゃん!どっから来たんだよ〜」
ああ、この国でいやらしさ抜きに話しかけてくれたのはお前らが最初だよ…俺はお前らを誇らしげに思うよ……と、ちょっとウットリしていた。
話しかけてきたのはコイツではなかったと思うけど写真があったので
子供の集団の中にはハンディキャップもある子もいたのだが、そうした子でも分け隔てなく仲よさげにしているのを見て少し感動すらしていた。
子供たちと会話を何往復かした後「なんかくれよー!」的な事を言われたので、まコイツらならいいか、お返しだ!ってな気持ちで「そっかー、じゃあちょっと待ってね〜」と、良い日本人のあんちゃんを演じたくなり近くの売店でキットカット的なお菓子を購入した。
「はい、これみんなで食べてね」とハンディキャップの子に渡した刹那、その子供いや、クソガキどもは
「はい!ありあとやんした〜〜〜〜!お前と俺らの関係今日まで〜〜〜」的な感じでサーッとダッシュで離れていった。頂くもん頂けたらお前に用はない、お前はキットカットを産む機械。そんな態度ですぐ去っていった、秒で去っていったのだ。
ここで気付いた。あ、俺カモられたと!!
それだけならまだ良かった。
「やっと信じてもいいインド人に会えたと思えたのに……」ショックを抱えながら路地を歩いていると、先程の集団にまた遭遇した。物だけもらってダッシュで逃げたことに関しては別段悪気はないようで「まだ何か用かよ!地味メガネさんよ〜〜??」的な目線を送ってきた。
その集団のリーダー的な奴はハンディキャップのある子をぶん殴って俺が渡したキットカットを奪っていた、強奪と言ってもいい。
「なんでテメェが持ってんだよ!」そんな感じの喧嘩をしているようだった。
ショックと怒りが湧いた。ここにもヒエラルキーと資本主義があるのか……
だが考えてみると当たり前かとも思った。この子らも観光客からメシやチップを貰うため、頭を使って策を考えているんだ。
出会った子供の中には小島よしおの「そんなの関係ねぇ」をやりながら近付き、街の案内を日本語でする小学生もいた。日本人からもらうチップで生活をしているのだろう、チップのために日本語を覚えたのか。これが彼らの「働く」なのだろう。
自分が純粋と勝手に思っていただけに、その子供たちの態度の高低差にかなりショックを受けた。その日はもう街を歩くと嫌な気持ちでいっぱいになりそうだったのでホテルに戻ることに決めた。空気の悪さも相まって気分はかなりディープだ、体調も優れない。
途中、サッパリするためにオレンジジュースを買ったのだがこれがまた焼けるように甘く気分を更に落ち込ませた。口直しに買ったミネラルウォーターも冷蔵庫に入っていたのだが生ぬるく、フタの隙間からは砂利が出てくる始末。
何もいいことが起きてない。気分も体調も最悪だ、ホテルへ着くとベッドへ倒れ込むように眠ってしまった。
うたた寝中、吐き気で目が冷めた。何分かウンウン唸って、トイレに駆け込んでは何も出ずを繰り返した。
メシとストレスで腹を下したらしい、その後激しくゲロった。
普段の一人称は「僕」とか「俺」なのだけど、ベッドの上で「吐き」の確定ランプが光った瞬間はなぜか「あっ!!おおちゃんヤバい!」と思ったのを覚えている。もちろんおおちゃんなどと呼ばれたことはない。あれは何だったのだ?(ナンとかけたとかそんなうすら寒いことはしませんよ)
ラオラ
お土産で絶対買おうとしていたものがあった。ニット帽で耳あてがついているヤツだ。
こんなの
BAZRAというバンドのボーカルの人がかぶっていてカッコ良かったので、インドで是非探そうと考えていた(後にこれはチベタンキャップと言って、チベットのものだと知る)
お土産屋街的なところでキョロキョロしてると、中学生くらいの男の子二人組が声をかけてきた。
「何探してるの?(笑)」
「いや、帽子を探しててさ!毛糸でできてて、耳あてがあって……」
「アレね!こっちこっち!こっちにあるよ!」
促されて店へ向かうとそこはカバン屋だった。どうやらこの子供はカバン屋の息子らしい。
「いや!帽子無いじゃん!カバンじゃん!!(笑)」
「いやいや、ほら!これ、かぶれるよ!!見てよ(笑)」
どうみても小さめの籠素材のトートバッグをかぶりながらコッチを見てくるガキ。
いや、そもそもニットじゃねえし、周富徳のコック帽並に高さがあるしよ!よくソレを帽子と言い張ったな!!
「おまえふざけんなよ(笑)帰るわ!!!」
「待って待って待って(笑)」
明らかにからかって来たのが分かったので店を出たのだが、子供たちが「ごめんごめん(笑)」とついてきたのでちょっと国際交流って感じで会話をしてみた。
この旅で確認したかったことがある、ウンコチンコネタは世界共通なのかと?
「ねえねえ、インドの言葉でさ、ココって何ていうの?」
チンコを指差しながら聞いてみる
「うは(笑)え、なになに?どこよ(笑)?」
「いやいやチンコ!!ペニスペニス(笑)」
「おいおい(笑)なに聞いてんだよ?(笑)」
「いやいや!!お前らもいつも言ってんだろ?チンコはこっちの言葉で何ていうんだよ〜〜〜」
「おいおいおい(笑)ラオラって言うんだよ(笑)」
ゲラゲラ笑っているのを見て確信した、やはり下ネタは世界共通なのだろう。
インドではチンコのことをラオラと呼ぶと聞き、先程からかわれた恨みを晴らそうと俺はいい作戦を思いついた。
店の中でカバンを整理している親父に聞こえるように俺は叫んだ
「へぇ〜〜ラオラって言うのか〜〜〜、、、、」
「ラオラ!!ラオラ!!!」
と、大声で親父に聞こえるように叫んでやった。
「ちょwwwwおいwwwwwやめろやめろ!!!!(笑)」
二人は笑いを噛み締めながら俺を止めようとしてくる。
気にするものか!俺は日本人なのでラオラと叫ぶことは全く恥ずかしくない!!俺が叫ぶことによって近くにいるお前らが恥ずかしくなるという旅人の利を利用した攻撃だ!!カウンターとして完璧だ!
「ラオラ ラオラ ラオラ ラオラ ラオラ ラオラ!!!」
「おい(笑)日本人!!wwwwwふざけんなって(笑)」
二人はなんだこのイカれた日本人はという顔をしながらも、俺の「ラオラ!」の叫び声にめちゃくちゃウケている。そりゃそうだ、日本に来た外人が「チンコチンコ」叫んでたらめちゃくちゃ笑ってしまう。
親父が店の外に出てきて「あっち行け!!!お前らもからかってんじゃねえ!!」と3人とも怒られてしまった。俺はガキに向かって「うわー!!怒られてやんのー!!!バーカバーカ(笑)」とガキを煽りながらその場を離れた。ガキも「こいつー!!!(笑)」ってな感じでウケていた。
下ネタは万国共通だったのだ。
インドメシはサッパリ口に合わなかった
チャイは美味かった。そして斜視のインド人が多かった気がするな。
めちゃくちゃウエストランド井口に似てるなコイツ
久しぶりに写真見返してたらまた行きたくなってしまった。 あんな嫌な思い出しかない国なのに。今なら楽しめる気がする。そして行ったら行ったで文句を垂らしまくるのだと思う。
典型的インドにハマった人の思考になってしまった。