おおきちナイトニッポン

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友人に美術館の楽しみ方を聞いたらpsdファイルと同じだと気付いてハッとした

美術館を1mmも楽しめたことがない。

なんだかんだシュルレアリスム展やら、マグリット展やら、学生の頃にちょっと気になっていた画家の展示会にはタイミングが合えば行くには行くのだが、正直に言うと絵を見てもな〜んにも感じていないッス。これまでの美術館滞在時間全て無駄にしていると思う、その時間はアキレス腱でも伸ばす時間に使った方がよかったかもしれない。「ホ〜ッ」っと絵を覗き込んではいるが分かっているフリをしているだけで、実際には絵を見た瞬間にもう終わっている。「そこに絵がある」コレで俺の感想おしまい、おしマイケル。それの繰り返し。

この見方だと美術館全体を見尽くしたとしても3分で終わってしまう。それくらい楽しみ方が理解出来ていないのだが、さすがに入館料に1000円くらい払った手前それは「MOTTAINAI」と、ワンガリ・マータイ精神で見ているフリを続けている。見て見ぬふりではなく見ず見てるフリ、理解しようとするフリをしている。腰に手をやって、足を踵からコツコツ降ろしながら「ほほう」とか言っているが、な〜〜んにも考えてない。「沖縄行きたい」「ケバブ食いたい」「オニツカタイガーの靴欲しい」とかそんな事しか考えていない。

みんな美術館をどう楽しんでいるのだろうか?絵だよ?俺と同じ様な事思っている人、6割くらいいるんじゃないだろうか?絵ってPCで見ればよくない?大きさを感じたいの?他の客邪魔じゃない?

全アート好きを敵に回しそうな発言だが、実際美術館鑑賞が好きな人がどの様に楽しんでいるのか分からなかったので知り合いに聞いてみた。デザイナーの友人Pは休日は美術館に行ったりしていると言っていたので「なんで?Mr.ビーン映画版が好きなの?守衛さんに下剤飲ますやつ?」などとちょっかいを出しつつ聞いてみると、彼女はこう答えたのだ。

 

「私は生で絵を見て、絵の具の塗り重ねの厚みなどから歴史を感じている。油絵は何層にも渡って絵の具が重ねられているんだけど、その層から美術家の考えた事とか残留思念や意図を組み取るのが面白くて生で絵を見ている。あと、例えばモナリザ。これは500年前の作品なんだけど、日本に来るまでに様々な場所を渡って、今自分の目の前にあるわけじゃん?その歴史の重みって尊くない?」

 

だいたいその様な事を言っていた。それを聞いて俺は「ハッ!」としたのだ。

 

「あっ!!もしかして、Pは美術品をpsdファイルとして見ている訳?ほら、psdってフォトショで開くと右下にレイヤーがでるじゃん!?モナリザの最下層レイヤーは500年前に作られていて、その上に製作期間分の絵の具レイヤーが載っていて、さらにその上にはイタリアから日本に到着するまでの記録がある訳じゃん?それを見ている訳だ!?」

 

「そう!そうそう!!それいい例え!!」

 

「でしょ!ハッとしてGoodでしょ!?俺、例えマンなのよ!!そっかそっか、じゃあ美術館を楽しむにはまずpsdファイルを開けるソフトが必要なわけね!俺は今まで美術館の絵を『絵.jpg』としてしか見てなかったからつまらなかったのか!」

 

たぶん美術館の楽しみ方の言語化としてこれ結構イケてるのではないだろうか?

 

しかし、楽しみ方を理解したとは言え、美術館を楽しめるかどうかは別である。俺の中にある美術品を見るアプリはキッドピクスもしくはマリオペイント並のオンボロソフトなのだ。

 

psdファイルなのにjpgとしか認識出来ていないものまだまだたくさんあると思う。宝塚とか理解してみたい、ただめちゃくちゃ重いファイルだろうな〜。